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IBM 7030は、IBMの最初のスーパーコンピュータ構築の試みであり、ストレッチ(Stretch)の名でも知られている。1号機は1961年、ロスアラモス国立研究所に納入された。 当初の価格は1350万ドルとされたが、当初の野心的な性能見積もりを達成できず 778万ドルにせざるを得なかった。また、事前に契約していた顧客以外への販売を行わなかった。7030は当初予定したよりも性能が悪かったが、LARCを上回ってはおり、1961年から1964年まで世界最高速のコンピュータの地位を守った。1964年に世界一になったのはCDC 6600である。 == 開発の経緯 == ローレンスリバモア国立研究所のエドワード・テラーは三次元の流体力学計算のための新たな科学計算システムを所望し、IBMとUNIVACに対してこの新たなシステム LARC (Livermore Automatic Reaction Calculator) への提案書を要求した。予測コストは約250万ドルで、性能は1~2MIPS、完成期限は契約成立後2~3年とされた。 IBMでは、設計提案書作成をJohn Griffithとジーン・アムダールらのチームが行った。彼らが提案書を完成し提出しようとしたとき、Ralph Palmer がそれを制止して「それは間違いだ」と言った。提案書の設計で使うとしている点接触型トランジスタや接合型トランジスタよりも最新技術の拡散(プレーナー型)トランジスタがすぐにも性能で凌駕しそうだったのである。チームはリバモアで提案書に描かれたIBMが確実に開発できるマシンを説明したが、同時に「我々はこのマシンではなく、もっとよいマシンを作りたい。それにどれだけかかるかは分からない。もしかするとさらに百万ドルと1年の期間がかかるかもしれない。それがどれだけの性能になるかも分からない。それでも我々は毎秒1000万命令に挑戦したい」と訴えた。 1955年5月、IBMは提案における(上述のような)突然の方針転換のために受注を逃し、当時優勢だったUNIVACがLARCの契約を勝ち取った。UNIVACが建造したLARCは算術演算が二五進法による十進方式だった。 1955年9月、ロスアラモスも同じマシンを発注するかもしれないと恐れたIBMはリバモアに拒絶された改善された設計に基づくコンピュータの予備的提案書を送付し、ロスアラモスはこれに興味を持った。このIBMによる設計は(純)二進方式だった。1956年1月、ストレッチプロジェクトが正式に開始された。 1956年11月、IBMはロスアラモス国立研究所との契約を勝ち取った。性能目標は意欲的で「IBM 704の100倍(すなわち約4MIPS)」とされ、納入期限は1960年となった。 設計してみると、クロック速度を遅くしなければならないことが明らかになり、ストレッチは当初の意欲的な性能目標を達成できないことが明らかとなった。それでも「IBM 704 の60倍から100倍の性能」と予測された。1960年、IBM 7030の価格は1350万ドルに設定された。 1961年、実際にベンチマークを取ってみるとIBM 7030の性能は「IBM 704の30倍」程度であることが判明した(約1.2MIPS)。これはIBM社内に混乱を引き起こした。1961年5月、会長のトム・ワトソンは交渉の結果として7030の価格を778万ドルに再設定し、かつ今後の販売を即時停止することとした。 浮動小数点演算の性能は、加算は1.38~1.5μ秒、乗算は2.48~2.70μ秒、除算は9.00~9.90μ秒であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「IBM 7030」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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